LINEPOPについての考察 その5

最近、実生活で色々ありまして、更新が滞っています。
もしかしたら、まだまだ滞るかも知れません。気長にお付き合い下さい。

連休最終日に向けて、LINEPOPについて。

さて、LINEPOPについて書くのも早いものでこれが五回目。今では立派な連載企画になりつつあります。
とは言え、今回は特に書く事を決めておりません。ライト・ライク・トーキングな気持ちで、コーラを飲みながらユルフワで書いてみたいと思います。

このゲームをやり始めて、もうどれくらいでしょうか。一、二ヶ月くらいは経ったのかな。記憶が定かではありませんが。
現在のベストスコアは、99万。憧れの100万まであと一歩というところ。

しかし、この100万というスコアをすでに出している友達が三人もいるというのは驚きです。僕のランキングには10人くらいしかいないのに、それでも三人も。
これはもう、全国的に見たら、100万なんてスコアは珍しくないのでしょう。個人的に達成していないのは悔しいですが、もはや100万出したからと言って、手放しで喜べる状態では無いという事だと思います。

LINEPOPにはレベルがあります。一回のプレイでスコアに応じた経験値のようなものが手に入り、何度かプレイするとレベルが上がっていきます。
このレベルが上がっていくと同時に、実際のスコアに加味されるボーナスのパーセンテージが上がっていくという仕組み。

つまり、簡単に言うと、毎日やってればスコアは上がって当然なのです。ボーナスが上がっていくのですから。
故に、100万という高スコアも珍しくなくなるのでは。
自分が出してないので、いまいち説得力に欠ける。情けない。


実際のプレイに関して。
最近改めて思うのは、やはり見えているときと見えていないときがあるという事です。
以前、おそらく最初に書いた記事辺りで僕は、空間把握能力の話をしていたかと思いますが、まさにその感じです。

ウィニングイレブンをやっていて、パスをぐんぐん通せるとき、あるいはドリブルがキレッキレのとき。ディフェンスがどこにいるのかを把握している時ですね。
LINEPOPをやっていて見えている時は、まさにそんな感じです。フィールドの全てのブロックが見えているのです。
その状態を安定的に保つ事が、高スコアを維持する為には必要なのです。

そして、その為にはどうするかと言えば、これはやはり「愚直にプレイし続ける」という事に限ります。
高スコアを狙う為だけにプレイするのではなく、少しの空き時間を見つけては軽い気持ちでプレイする。それを続けていけば、自ずとスコアは上がっていくし、レベルも上がるからまたスコアが上がるし。
正の循環が生まれます。


最近ショックだった事は、今まで常に師匠のように教えてきた友達に、100万超えのベストスコアを出されてしまった事です。教えてきた甲斐があった、と素直に喜べませんでした。
その友達の、それ以前のベストスコアは70万ちょっと。そこから一気に100万へ。
負け惜しみではありませんが、やはりこのゲーム、運の要素もかなり強いのだなーと再発見した次第。

次週こそは100万出します。
よろしくお願いします。

結局、正論とはなんだ

昨日の続きです。

原発に関連して、もう一つ書いておきたい事があります。
以前、衆議院総選挙直前だったと思いますが、ニコ生で橋下大阪市長のぶら下がり取材を見る事がありました。
橋下氏のぶら下がり取材というのは、氏が質問してきた記者を論破する事で有名で、そんな場面も見られるかも知れぬという期待もあって見ていたわけです。

総選挙前という事もあり、ある記者が「維新として、原発に関してはどうお考えか」というような事を質問しました。
それに対する橋下氏の返答を聞いて僕は、あぁこの人は危険な人かも知れないと感じたのです。あの気持ちは伊坂幸太郎の小説「魔王」の主人公が感じたものに似ていました。

氏はこんな事を言ったと記憶しています。

「僕は知事として府の行政を任されてきたし、今は市の行政を任されている。原発再稼働や推進といった判断は、その時にならなければ分からない。今はデータが無いので判断出来ないし、脱原発や推進という事も言えない。これは行政を任された者にしか分からない判断だ」

これも、もう本当に何も言えないほどの正論です。反論の余地はありません。
だって、行政を任された事ありませんから。世の中の大体の人はそんな立場に置かれた事ありませんから。


このように正論とは、問題解決にはあまり役に立たない事が多いのです。

ギャンブルの例で言うと、その問題の解決にはギャンブルとは違う、他にやりたい事や趣味を見つける事が必要です。ギャンブルをしている時間が無くなるくらい何かに没頭出来れば、問題は自然と解決出来ます。

ただ、結局はこの趣味なども自分で見つけなければいけないので、そのハードルはとても高いです。ギャンブルは違法すれすれだから今すぐやめろ!と言うよりは、余程建設的だとは思いますが。


原発に関しては、もっと大きな視点で見る事も、あるいは大事なのかも知れません。
原発に依存して経済を成り立たせてきた地域を、如何に依存から脱却させるか。また、原発を推進する事でお金が動く経済の構造を、どうやって変えていくか。

こういった事に少し目を向けるだけでも、随分と見方が変わってくるのかなと。
しかしながら、これも単なる正論と言えなくもありません。


と、ここまで色々と書いてきました。
僕が思うに正論とは、ただ単に他を排除する手段でしかありません。自分の近くから他者を排除して、より自分に都合の良い社会を作る。この実現の為に正論が使われているのではないでしょうか。

正論を武器に、何人も寄せ付けず、縦横無尽に敵を倒す。

しかし、自分が利する為に他者を排除してばかりいては、世の中は上手くゆきません。やがては破綻するでしょう。
そうならない為にも、正論ばかりを声高に叫ぶのでなく、具体的な解決策を探すべきです。


という考えに至ったのには、先日の帰省が非常に大きく影響しています。
久しぶりに帰省してライブをして打ち上げをして、気分良く終わろうとしたところ、最後の最後に正論を振りかざし、演者を批判したハコのスタッフ。
僕はその場に居合わせませんでしたが、この長い記事はそんな彼を鎮める為のレクイエムです。

中学校の先輩であり、兄の友人である彼ですが、遠慮せずに言わせてもらいます。

正論ばかりが正義とちゃうぞ。

正論とはなんだ

どんな時でも正論を語り、まるで正論の申し子のように振る舞う人がいます。たまに見掛けます。
例えば「ギャンブルは良くない、人生が破滅する」とか、「原発は悪だ、今すぐ止めよう」とか。

もちろん、ギャンブルはお金と時間の浪費であるし、原発がまたメルトダウンを起こしたら日本は大変な事になります。それは分かります。

ただ、事の正誤と、問題の在処というのは時として全く別な事もあるのです。
さきほどの例をもう少し詳しく書きます。

まずはギャンブル。
ギャンブル、特にパチンコやパチスロは、その借金が原因となって自殺に至ったり、駐車場に置き去りにされた子供が亡くなったりと、しばしば社会問題として扱われたりもします。

さらに問題なのはこの換金方法です。
通常、パチンコやパチスロは出玉や出したコインをそのお店で数えてもらい、その玉数や枚数に応じて金が入った景品に交換します。その景品を持って最寄りの買取所に行き、景品を買い取ってもらいお金を手にする仕組みです。
このような手段をとる事により、パチンコもパチスロも合法な遊戯として存在しています。

合法とは言え、法的には非常にグレーな部分もあり、警察も何故許しているのかという疑問も残るところではあります。まぁ、この辺は気になった方がググって下されば、その辺のお金の流れも見えてくるかと思います。

つまり、普通に営業しようと思った時に、このパチンコ・パチスロ業界というのは総じて違法になってくるわけです。そこを突いて、元2ちゃんの管理人であるひろゆき氏などは、違法な遊戯にお金をつぎ込んで、勝った負けた、さらに他にも楽しい事があるのに時間を浪費して、バカなんじゃないの?と言っている動画がYouTubeにありますので興味のある方はご覧になって下さい。

このひろゆき氏の言っている事というのは、ぐぅの音も出ないほどの正論と言って良いでしょう。どんな言い訳をしたところで、ギャンブルへの金と時間の浪費を正当化する事は難しいです。

しかし、その浪費をどうやって解決するかとなると話は複雑になってきます。

本当の問題は、これらが違法かどうかよりも、何故その人達が、ひろゆき氏の論を借りるならば、このバカな人たちがギャンブルで浪費を続けるかという事です。
その解決には、パチンコ・パチスロは違法である、というのはなんの説得力も持ちません。


次に原発の問題です。

一昨年の3.11以降、世間では反原発デモや節電など、改めて原発や電気に対して考え直すような行動が各地で行われました。
現在はどうなっているかというのは、今回のテーマとはずれるので置いておきます。

原発はとても危険なものです。一度、不慮の事故で壊れるとその被害は甚大で、場合によっては日本国内のみならず、世界的な被害を出してしまうおそれもあります。

この原発を「今すぐ止めよう」とか「すぐに自然エネルギーに代えよう」と唱える人たちがいます。

原発は危険なものだし、今すぐ止めて欲しいとは思います。実際に、今動いている原発は大飯の二機だけでしたか。これは正論です。
しかし、問題はこれほど簡単ではありません。

まず、原発廃炉にする為には何十年という月日が掛かります。そして廃炉にしたところで、その原発で出たゴミはどうやって処分しましょうか。
もちろん、僕は原発推進派ではないですし、この期に及んで原発の開発や建設を押し進めようと言う人たちの気が知れません。でも、もう一度何かがあってからでは遅いという事を考えると、もうそろそろ止めておこうぜ、と思わずにはいられません。

また、電気代の事もあります。原発を止めて電気を作る事でコストが上がると電気代も上がると思われます。一部、そんな事はないはず、東電は嘘をついている、発送電分離を直ちに行えば競争が起こって電気代は下がるなど、色々言われてはいますが、現状上がるとみて良いと思います。
この値上がりをどこまで我慢出来るかというのも一つの問題です。


筆が乗ってしまい、結構な文字数を書いてしまいました。
このテーマ、次回に続きます。お楽しみに。

再考、親の七光り

親の七光りと聞いて、皆さんの抱くイメージはどんなものでしょう。
僕にとってはあまり良くないものです。ネガティブなイメージと言ってもいいかも知れません。

例えば、三国志。蜀の初代である劉備は、軍師諸葛亮にその国を託しました。亡くなる間際、「息子の劉禅は出来が良くないかも知れない。もしそうであったならば、君にこの国は任せる」というような事を諸葛亮に語ったとされています。
諸葛亮は結局、この劉禅に蜀を任せ、自らは北伐を指揮し五丈原の戦いで果てる事になります。蜀は諸葛亮亡き後、劉禅の代で魏に降伏した事から、劉禅はなんとなく暗君愚君の烙印を押された雰囲気があります。

僕が抱く親の七光りとはまさにこんな感じです。
言葉のネガティブなイメージが先行して、親の七光りと聞くだけで「ダメな子供」を連想してしまいます。


ところで最近話題になった事に、「浜田雅功、ラジオで初の親子共演」というものがあります。
僕はまったく知りませんでしたが、OKAMOTO'Sというバンドのベースの方は浜田さんの息子なのだそうで。そんな親子がJ-waveのラジオで共演した事がえらい話題になりました。

僕もあとからそのラジオを聴きまして。内容はとても面白いものでした。今まではあまり聞いた事が無いような「父親としての浜田雅功」みたいなものが語られていて、昔からダウンタウンを見て育った世代としては大変興味深かったです。

そして、そういう「親子共演」が話題になったときに必ず出てくる議論として、「子供は子供、親は親」みたいなものがあります。

つまり、OKAMOTO'Sは音楽的に優れていたり、バンドとしての魅力がある為に今の地位にいる、ベーシストであるハマ・オカモトの親が浜田雅功である事は全く関係無い、というような意見が出てくるのです。
そして、そこでやはり出てくるのは「彼は親の七光りではない」というような言葉です。

信者乙、ファン乙、と言ってしまえばそれまでなのですが、今回はそこを少し掘り下げたいと思います。

結局、ファン達はOKAMOTO'Sのバンドとしての力量を信じているのです。
OKAMOTO'Sがどんなバンドにしろ、そういった忠誠心の強いファンがいるという事は大変素晴らしい事であり、また大変羨ましい事でもあります。
OKAMOTO'Sの音楽を信じ、そしてその活動を応援しているのです。

そして、そんな経緯があればこそ「親が誰であろうと関係は無い」というような事を言い出すファンも現われるのです。


ただ、僕が思うにその考えはあまりに短絡的です。親が誰であろうと関係が無いはずがありません。

まずファンであれば、親が浜田雅功である事も含めてのハマ・オカモトであり、その方がベーシストであるバンド、OKAMOTO'Sという事を受け入れなければいけません。

そして、OKAMOTO'Sがどのように素晴らしいバンドなのかを論理的に解明しなければならないのです。
知ってます、誰もそこまでしないのは知っています。ただ、そこを解明出来ずに「彼らの場合は実力でのし上がってきたのであって、親は関係無い」と言ってしまうのは、どうにも無責任です。

僕は例のラジオで、ハマ・オカモト氏が「レーベルと契約した時に社長があなた(浜田雅功)の話をしていた」というような事を言っているのを聞いて、考えてしまいました。

大メジャーレーベルの社長が、一介の新人バンドのベーシストの父親を知っているだと。。。

この時点で、普通のバンドとはかなりかけ離れているわけです。例えば、うちのバンドのベーシストのお父上が床屋を経営している事を知っているレーベルの社長なんて、存在するのでしょうか。

その事実ひとつをとっても、如何に父親・浜田雅功が偉大かが分かります。そして、その偉大さ無くして、OKAMOTO'Sのここまでの発展は無かったように思うのです。


つまりは「親の七光り」というネガティブな言葉のイメージを払拭する為に、ファンは躍起になってバンドを擁護します。
全ての原因はこの言葉のイメージなのではないでしょうか。

これからはもっとこの言葉をポジティブに捉えましょう。
例えば「親の七光り」という言い方を変えると良いかも知れません。「セブンス・ライト」とか「セブンス・レイ」とか。あるいは「親の七ブライトネス」とか。

言い方ひとつで世の中変わると思うんです。

これからの音楽家とは

前回の予告通り、今回はこれからの音楽家の形について思うところを書きます。

音楽に夢が無くなり、業界自体にお金が回らなくなった今、音楽を志す上でまず考えなければならないのは、如何にして表現する為の資金を稼ぐかという事に尽きます。
結局その資金は、自分自身が音楽以外の方法で稼ぐのが良いのではないでしょうか。

僕にとってこのブログはまさにその一環であり、音楽をやる事以外に文章を書く事にも力を入れて、僕に興味を持ってもらうというのが狙いです。

最近では星野源というミュージシャンがその好例です。彼は役者として大人計画に所属しながら、文筆業、SAKEROCKというバンド、さらにソロでも活動しています。

昔から、文章も書き音楽もやるという人は多かったとは思いますが、これからはその両方をより真剣に稼ぎ口として捉え、どちらかで名を上げたらもう一方にも還元出来るような仕組みを作っていく事が必要かと思います。
具体的には、ブログを書いて月間PVが5万くらいの方というのは、一日にざっと1500PVを集める訳でして。それくらいのファンがいるとライブをするときの反応や、音源を発表したときの売上にも良い影響が出てくるはずです。

二足のわらじというと、今まではマイナスのイメージがあったように思います。つまり今の例で言うなら、音楽もやって本も出して一体どっちが本業なのか分からない、というようなイメージです。
しかしこれからは、この二足のわらじ的な事をよりポジティブに考え、文章を書いて得た資金を音楽に使い、音楽で得た資金をまた文章を書く為に使うという循環を自分で作り出す事が大切なのではないでしょうか。

また、音楽に関しても大手のレーベルに頼らずに自分でレーベルを作ったり、ustreamやニコ生を使って生の動画を配信したり、一昔前では考えられないような事が全て自分で比較的容易に出来るようになっています。


何点か思うところを書きましたが、一番言いたい事は「ライブで動員を増やして、CDを手売りして、有名になってメジャーデビューってもう古くね?」って事です。
このご時世で100万枚売ってやりたいという野望をお持ちの方は、逆にそれくらい堅実にやる必要があるかも知れません。しかし音楽をやって、好きな事をやって必要な収入を得るという事を考えた時に、やり方は色々あります。
とは言え、そうやって収入を得ていない僕が言うのも説得力がありませんが。

ただ、今の世の中を考えると、「ロックスターに俺はなる」も「海賊王に俺はなる」も、どちらも同じくらい夢物語に聞こえます。その幻想に皆が醒めた時にこそ、改めて音楽の芸術としてのステップアップもあるように思うのは僕だけでしょうか。

何にせよ、芸術性の高い音楽が売れるようになるには、稼ぎ方も含めて、色々な変化がまだまだ必要だと思っています。その為に、どこかで貢献できるように、何かをし続けますよっと。

音楽のこれから

少し前の事ですが、こんな記事を読みました。

第47回:いつの間にロック少年は「洋楽」を聴かなくなったのか?
http://www.drillspin.com/articles/view/526

今、気付きましたが、記事自体は一ヶ月前なのですね。ぼくがこの記事を読んだのはちょうど、前回のブログを更新したクリスマスイブだった気がします。
今回はこの記事を読んで思ったところを。

ざっくり要約すると、洋楽自体は世界的に見たらそこそこ売れてきてるし、10代のロック少年にとってのヒーローが現われれば、日本でも洋楽カルチャーが復興するのでは??という内容です。
記事では、昨年一年クロスビートの表紙を飾ったアーティストを並べたり、日本国内の邦楽と洋楽の生産数量の比率が載っていたりと、なかなか興味深いものになっています。

ただ、この記事は「ヒーロー誕生」で結ばれています。結局、少年達が憧れるようなカリスマの誕生で、洋楽を聴く人が増えるのではと。
この部分には同意し兼ねました。問題はそんなに単純なものでは無いはずです。


僕が思うところは二点あります。まず一つが、音楽に夢が無くなったという事です。

僕が音楽の道でご飯を食べたいと思った10代の頃、つまり今から15年ほど前というのは、まさにCD売上の黄金時代。特にバンドに元気がありました。
例えば、僕の年代なら皆が知っていたGLAYやL'Arc-en-Cielは二枚同時にシングルをリリースし、その二枚どちらもミリオンになっています。

必ずしも、ビジュアル系でやっていこうとは思わずとも、音楽自体に夢があった時代です。自分の好きな音楽をやってご飯を食べていく事が、今よりも随分と現実味があった時代だったと思います。

また、この時期というのはFISHMANSがとても良いアルバムを出していた頃です。
彼らは自分達のスタジオを持ち、時間に縛られる事無く自由に音楽を作っていました。10万枚売れるかどうかというバンドが、このような活動をしていた事も夢のある話です。
とは言え、今の時代に10万枚を売るというのは、まさに夢のような話だとは思いますが。

現在では、ミリオンヒットもFISHMANSのような活動も非常に難しいでしょう。ジャニーズやAKB48などのアイドルでなければ、安定したCD売上が見込めない状況です。
そんな状況では、音楽少年が音楽を仕事にする事を夢見るのは難しいと思います。なにより、親が許さないと思います。


そして二つ目ですが、音楽業界に体力が無くなってきた事です。

音楽雑誌やレコード会社など、全て含めた音楽を取り巻く業界自体に体力が無くなってきた事は自明です。それ故に、紹介した記事にもあるようにクロスビートの表紙があんな事になるのではないでしょうか。

ロック少年のヒーロー候補なんてのは実は数年おきに定期的に出てきていて、そのアーティストを全力でプッシュするだけのお金が業界全体に無いのが問題です。
記事の最後に紹介されているPalma Violetsと同じようなバンドは、今までも何度か出てきました。しかし、どのバンドも2ndアルバムまで売れた事は無いように思えます。

正直に言って、「ラフ・トレードのレーベルオーナーが」と始まった時点で、あーまたか、と思わずにはいられない訳です。なので僕の見立てでは、Palma Violetsはほどなく消えるでしょう。今年のフジロックには出るかもしれませんが、来年は難しいと思います。


以上が、記事を読み、僕が思った事です。思いの外、筆が乗りましたので、このテーマは次回に続きます。
次回は「僕の思う、これからの音楽家」で書きたいと思います。

お楽しみに。