再考、親の七光り

親の七光りと聞いて、皆さんの抱くイメージはどんなものでしょう。
僕にとってはあまり良くないものです。ネガティブなイメージと言ってもいいかも知れません。

例えば、三国志。蜀の初代である劉備は、軍師諸葛亮にその国を託しました。亡くなる間際、「息子の劉禅は出来が良くないかも知れない。もしそうであったならば、君にこの国は任せる」というような事を諸葛亮に語ったとされています。
諸葛亮は結局、この劉禅に蜀を任せ、自らは北伐を指揮し五丈原の戦いで果てる事になります。蜀は諸葛亮亡き後、劉禅の代で魏に降伏した事から、劉禅はなんとなく暗君愚君の烙印を押された雰囲気があります。

僕が抱く親の七光りとはまさにこんな感じです。
言葉のネガティブなイメージが先行して、親の七光りと聞くだけで「ダメな子供」を連想してしまいます。


ところで最近話題になった事に、「浜田雅功、ラジオで初の親子共演」というものがあります。
僕はまったく知りませんでしたが、OKAMOTO'Sというバンドのベースの方は浜田さんの息子なのだそうで。そんな親子がJ-waveのラジオで共演した事がえらい話題になりました。

僕もあとからそのラジオを聴きまして。内容はとても面白いものでした。今まではあまり聞いた事が無いような「父親としての浜田雅功」みたいなものが語られていて、昔からダウンタウンを見て育った世代としては大変興味深かったです。

そして、そういう「親子共演」が話題になったときに必ず出てくる議論として、「子供は子供、親は親」みたいなものがあります。

つまり、OKAMOTO'Sは音楽的に優れていたり、バンドとしての魅力がある為に今の地位にいる、ベーシストであるハマ・オカモトの親が浜田雅功である事は全く関係無い、というような意見が出てくるのです。
そして、そこでやはり出てくるのは「彼は親の七光りではない」というような言葉です。

信者乙、ファン乙、と言ってしまえばそれまでなのですが、今回はそこを少し掘り下げたいと思います。

結局、ファン達はOKAMOTO'Sのバンドとしての力量を信じているのです。
OKAMOTO'Sがどんなバンドにしろ、そういった忠誠心の強いファンがいるという事は大変素晴らしい事であり、また大変羨ましい事でもあります。
OKAMOTO'Sの音楽を信じ、そしてその活動を応援しているのです。

そして、そんな経緯があればこそ「親が誰であろうと関係は無い」というような事を言い出すファンも現われるのです。


ただ、僕が思うにその考えはあまりに短絡的です。親が誰であろうと関係が無いはずがありません。

まずファンであれば、親が浜田雅功である事も含めてのハマ・オカモトであり、その方がベーシストであるバンド、OKAMOTO'Sという事を受け入れなければいけません。

そして、OKAMOTO'Sがどのように素晴らしいバンドなのかを論理的に解明しなければならないのです。
知ってます、誰もそこまでしないのは知っています。ただ、そこを解明出来ずに「彼らの場合は実力でのし上がってきたのであって、親は関係無い」と言ってしまうのは、どうにも無責任です。

僕は例のラジオで、ハマ・オカモト氏が「レーベルと契約した時に社長があなた(浜田雅功)の話をしていた」というような事を言っているのを聞いて、考えてしまいました。

大メジャーレーベルの社長が、一介の新人バンドのベーシストの父親を知っているだと。。。

この時点で、普通のバンドとはかなりかけ離れているわけです。例えば、うちのバンドのベーシストのお父上が床屋を経営している事を知っているレーベルの社長なんて、存在するのでしょうか。

その事実ひとつをとっても、如何に父親・浜田雅功が偉大かが分かります。そして、その偉大さ無くして、OKAMOTO'Sのここまでの発展は無かったように思うのです。


つまりは「親の七光り」というネガティブな言葉のイメージを払拭する為に、ファンは躍起になってバンドを擁護します。
全ての原因はこの言葉のイメージなのではないでしょうか。

これからはもっとこの言葉をポジティブに捉えましょう。
例えば「親の七光り」という言い方を変えると良いかも知れません。「セブンス・ライト」とか「セブンス・レイ」とか。あるいは「親の七ブライトネス」とか。

言い方ひとつで世の中変わると思うんです。