電車の中で

僕は毎日の通勤に電車を使う。各駅停車だと座れることが多いので、よく利用するのは急行よりも各駅である。

乗換えまでの間、座っていられるというのはとても嬉しい。携帯で何か読み物や調べ物が出来るし、雑誌や小説なども読める、さらに疲れてきたら目を閉じ瞑想にふけることも出来る。
立っていても出来ることはあるが、座っていられるとその時間をとても有意義に過ごせるのだ。

そんな電車という空間で一つ、どうしても許せない行為がある。

それは、足を広げて一人で1.5人分のスペースを占有している人がいる事だ。車内にあまり乗客がいないのならまだしも、満員近くなってきても何も気にせず足を広げ新聞を読んでいたりする。
そしてそういう行為をしている人には、圧倒的にスーツを着た中年のサラリーマンが多い。

見たところ、40〜50代といったところの、役職で言うと課長くらいの中間管理職的なサラリーマンだ。会社では部下をいいように遣い、家では妻と娘に煙たがられているような、そんな中年男性だ。
僕はこういうサラリーマンがどうしても好きになれないし、はっきり言って大嫌いである。

まず、何故そんな事が出来るのか理解が出来ない。座りたいのに座れない、あと0.5人分のスペースが足りなくて座れない。そんな経験をした事が、彼らには無いのだろうか。

そして、この人たちはいったい何を見ているのだろうか。目の前で、座りたい人がそのスペースを見ているのを気付かないのだろうか。

こんなサラリーマンばかりなのに、どうして日本経済を建て直す事など出来ようか。まずは礼儀を学ぶべきである。会社の中では自分の役職を高らかに掲げ、部下をあごで遣う事も出来るだろうが、一度外に出たならばその考えは捨てて頂きたい。
公共の空間で、人の迷惑となる事はなるべくやらないのがルールだろう。
その浅はかな行為のお陰で、座りたいのに座れない人が何人いるべきか真剣に考えて欲しいものだ。

まったくこんな礼儀を知らず、マナーの悪い人間の多いサラリーマンという職種が、この日本で大多数を占めるとは誠に由々しき事たijdfんbkjそえljふぁあぁjlmlふぁjlk


と考えたところで、はっと我に返りました。
つまり、日本にはスーツを着たサラリーマンという方がとても多いのです。都内近郊の電車の中では尚の事。

さらには、彼らはスーツを着ています。スーツはサラリーマンのユニフォームです。
スーツ=サラリーマンというステレオタイプがあります。もしかしたら目の前に座るスーツの男性は、スーツを着たフリーのライターであるかも知れませんし、スーツを着た現代アーティストかも知れません。
しかしながら、多くの人はスーツを着た男性を見ると、特に意識せずにサラリーマンと断定してしまいます。
スーツ=サラリーマンとすると、その人たちは数少ない「着ているもので職種を断定できる人たち」ということになります。その事が、この誤解をさらに加速させているのです。
お医者さんは白衣で通勤しませんし、コックはエプロンをして電車に乗りません。


朝の通勤電車、スーツをきた人が足を広げる。これだけで、この国のサラリーマンはマナーが悪く、公共性の何たるかを分かっていない。と断罪した僕は、如何に浅はかだったか。

悪いのはサラリーマンではありません。そのような行動をとっている個人、一人一人の問題です。
これからは、着ているスーツや、想像される職種などにとらわれる事無く、フラットに人を見ていきたいと思った次第でした。