プレゼント

昨日も書きましたが、僕は誕生日を迎え29歳になりました。
そして、誕生日プレゼントをいくつか貰ったのです。

僕はまぁ、人に何かをプレゼントするのは好きな方なのですが。誰かにプレゼントをあげるときに心掛けている事は、相手を喜ばせる為ではなく自分が喜ぶ為にプレゼントをするという事です。
昔、何かで読んだか聞いたか。まったく思い出せませんが、なるほどなぁと思い今に至ります。

どこの自己チューだと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、これは何も自分の事だけ考えればいいじゃないって事ではありません。
相手の事を考えた上で最終的には相手の喜ぶ顔を見て、自分が喜ぶ為にプレゼントするって事じゃなかろうかと、29歳になった僕は考えています。

今年、いくつかプレゼントを頂き考えた事は、プレゼントとはつまり時間だという事です。
プレゼントを何にするか考え、選んでいる時間は渡す相手の事を考えている訳で、その時間が見えるからこそ、プレゼントを貰った相手は嬉しいのではないでしょうか。
それ故に手作りのプレゼント、例えば手編みのマフラーなどは、それに費やされた時間の膨大さを考えた時に、あるいは少し引いてしまう男性もいるかも知れません。

つまり、プレゼントを何にしようか、全然思い浮かばない、あの人は何が嬉しいのだろうか。そう考えている時間が、相手にとって一番のプレゼントになっているのだと思います。

この理論で言いますと、渡す相手に「何が欲しいか」と聞くのは、なんだか不粋というよりも愛がないように思えます。相手を確実に喜ばせる為にもその方法を否定する訳ではありませんが、なるべくならばその方法は最後の手段としておきたいと考えます。


結局、何が一番悪いのか。それは「他人任せにする」事に他なりません。

例えば、コーヒーが好きな男性にプレゼントをしたいと考えた女性がいます。
女性自身はコーヒーよりも、どちらかと言えば紅茶派。コーヒーなんてインスタントやブレンディくらいしか飲まない。高いコーヒー?ブルマンでしょって知識しか持ち合わせていないとしましょう。

そんな女性が男性にコーヒーをプレゼントしたいと考え、やってきたのはデパートの地下食品売り場。デパ地下なら美味しいコーヒー売ってるんでしょ、と。
お目当てのコーヒー屋さんを見つけた彼女は開口一番、店員さんにこう言います。

「おすすめのコーヒー、3000円くらいで詰め合わせてくださーい」


こんなプレゼントが、一番悲しいプレゼントだと思うんですよね。
それならば相手が美味しいと思うコーヒーよりも、自分が好きな、その美味しさを相手に伝えたいようなスイーツをプレゼントした方が、よっぽど相手は喜ぶんじゃなかろうか。

まぁ、知ってます。こんな考えはマイノリティです。
コーヒーよりもスイーツよりも、ヴィトンの小銭入れが喜ばれるでしょう。そんな事は知ってます。
ただ、プレゼントとは思いであり、また思いとは時間であると。
それが言いたかっただけの、長い割に内容の無いブログでした。

おやすみなさい。