悪意の顕在化

東京に来てまず驚いたのは電車の本数、そして車両の多さです。

僕の住んでいた青森県弘前市ではそもそも、電車での移動が一般的ではありません。僕自身も弘前にいた頃、電車を使うのは専ら青森市に行く時くらいのもので。片道一時間くらいかかるんですが、本数も少なく、一時間に一本程度です。二本に一本が快速だったり。車両は多くても四両。少ない時は二両。JRならまだそんなものですが、ローカル線ともなれば一両で走っている事もあります。

それくらいの本数、車両数という事はつまり、利用者がそんなに多くないんですね。そりゃあ、青森のような田舎ですと一人が一台車を持っていても不思議じゃありませんので。利用者が少ないという事は、それだけ事故も少ないです。大学に通っていた時に電車を利用していましたが、事故などの理由で電車が遅れた事は殆ど無いように思います。

都内では、何かの拍子にすぐに電車が遅れます。遅延証明をもらう事は、まったく珍しい事ではありません。
中でも、その理由として多く挙げられるのは人身事故、具合の悪いお客さまの対応など。鉄道会社の不備によるものではない、不慮の事故が多いです。体感として。
中には痴漢対応などにあたるスラングもあるとは思いますが、とにかく人が原因になる事が多いですね。

そんな車内放送がされた時に、電車内ではいくつかため息のようなものが聞こえる気がするのは錯覚でしょうか。

また人身か、また具合の悪い人か。

仕方がありません。皆、会社に遅れないように電車に乗っています。遅刻なんてしたくないのは当たり前です。ただ、声に出してそういった事態を批判するのはさすがに我慢しているのです。ため息をする事で、その我慢を持続させているのです。
しかし、ツイッターなどのソーシャルメディアの台頭は、そういった事態を僅かながら変化させました。
今までは我慢してきたような心の呟きを、ツイッターなどに呟く人が出てきたのです。

「人身事故なう。死ぬなら土日にしろ」
「今日も具合の悪い人。具合が悪いなら電車乗んなよ」

こういった呟き、皆さんも見た事があるのではないでしょうか。
僕は、ここにソーシャル時代の悪意の形、実態を見たように思いました。

呟いている本人は、自分のアカウントで何を呟こうが勝手だろう、使い方は人それぞれ自由だろう、と言うかも知れません。しかし本当の問題が起こるのは、実はこの後だと思います。


自殺を決意した人が線路まで来ました。昨日、会社で嫌な事があった。もう死んでやる。今日はもう会社になんて行きたくない。今、死んでやる。
、、、いや待てよ、、あれ今日って平日じゃね?、、こないだ、死ぬなら土日にしろって呟いたばっか、、、、、
と、この世に悔いを残したままに命を絶つ事になりやしないか。

具合の悪い人がいました。やべー、昨日飲み過ぎたか、吐き気やベーーー、うーーー酸っぱい、口の中すっぱい、、、うっっっぷ、、セーフ、、まだ吐けないな、、ん、まだ四駅もあんのか、、、うーー、降りてーー、、具合が悪いから降ろしてーーってお願いしてーー、、でも、こないだあんなツイートしたばっかだし、、自分だせーー、やべーー、うぷ、、うーーもうう、、うう、、あー、だめだ、、もうがmああっmん、、、
と、電車の中が大変な事になりやしないか。

つまり、自分のツイートがブーメランになって自分に返ってくるのではないか。そのように考えてしまいます。
この悪意の負の連鎖は、どうしたって断ち切った方が良いと思います。
Facebookにしても、会社の愚痴を近況に書き込むのは本当にどうかと思います。そんな事を続ければ、ダイレクトに身を滅ぼしかねません。

悪意は伏せましょう。なるべくなら。その方が、やっぱり世の中上手く回ると思います。